僕は人から嫌われている。どれぐらい嫌われているかというと、長年加えられていなかった家族プラスアルファのメンバーから構成されるLINEのグループチャットに、つい先日はじめて加えられたぐらいには嫌われている。弟が僕をそこに加えた。一体何の温情があって弟が僕をそこに加えたのかは分からないが、ともかく僕はそのグループチャットでずっと黙っていようと思う。ともかく発言すると危険な気がする。君子あやうきに近寄らずと言うし、黙っているのが得策だろう。
僕は、思えば小学生の頃からいまに至るまで、誰からも好かれない人生を送ってきた。友達も恋人もできた覚えがなく、いまも職場においては隣の部門の課長からハラスメントを受けている。それがなかなか解決しそうにない。
僕は今までそういう社会に対して、というか自分以外の人間すべてに対して、深い恨みを抱いていた。もしも地球破壊爆弾の投下ボタンが自分に与えられたら、迷わず押すというぐらいには恨んでいた。
しかし最近また人から嫌われることが起こったこともあって、考え方を変えたほうがいいのではないかという気がしてきている。僕はどうも一生このままではないかという思いが強くしてきた。僕の直感は次のように告げている。「お前は生涯にわたって誰からも嫌われ、かつ憎まれる。そしてお前はそのことを恨みに思わず、人類を赦し、慈悲の気持ちを持たねばならない」。
正直に言ってこれはキツい。だが多くの場合、人に与えられる使命とは、これだけは避けたかったというものではないだろうか。少なくとも物語の主人公に与えられる課題は、どうしてもこれだけは選び取りたくなかったというものになるのが普通である。それが運命というものなのだ。
つまり僕は徹底的に自己を否定する必要がある。そのために参考となるのが旧約聖書だろう。預言者モーセは民衆を導いたが、自身は約束の地に足を踏み入れることを許されず、神の手によって命をとりあげられる。僕もモーセになるしかないのかもしれない。今はそんな風に思っている。