ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』を一読した。面白かった。しかし、滅茶苦茶な本であると思った。とりあえず第一回目の読書会が今日なので、解説可能なところだけ書いておこうと思う。

Sea, Sea Rider

文学のお決まりのテクニックとして、夢占いということがある。旧約聖書の『創世記』にはまさに夢占いが出てくる。ヨセフが料理長や王の見た夢の内容を読み解き、彼らに意味を教えてやるのである。他にも似たような物語術として、どう解釈すればよいのか理解不可能な出来事がまず起こり、それを後で何らかのメタファーや啓示であると登場人物が受け取って、読み解くという構成法がある。こうした構成の物語を読むと、読者は本来難解である夢や出来事をやすやすと理解することができ、また意義深いものとして受け取るという効果を得る。

『Sea, Sea Rider』でおこなわれているのは、この技法のパロディである。

まず、あまりにも唐突な情事という出来事が起こる。情事はまるで夢の中のような奇妙な雰囲気を持っている。これが夢占いの「夢」に相当する出来事である。その後で本屋の主人がそのセックスを読み解いてくれるのだが、これが夢占いにおける読み解きに相当する。

ただしその解釈の話はめちゃくちゃである。およそどこにも行きつかない、無意味な解釈だ。そこらへんが「パロディ」ということなのである。『Sea, Sea Rider』はなかなかよくできた作品である。僕はこの短編を読むと笑ってしまう。

せむし鱒

おそらくこの短編集の中で唯一の「普通」の短編小説である。つまり、まっとうな物語がある。起承転結がある。「起」が主人公が釣りに出かけるということ。「転」が死んだ一匹の白猫のことを思い出すことで、その手前までが「承」に当たる。つまりそこでは普通の釣りの光景を描いている。「結」が最後の一文である。「碾き割りとうもろこしをまぶしてバターで焼いたら、瘤はエズメラルダのくちづけのように甘かった。」

この小説のポイントは犠牲ということである。過去における白猫の死が第一の犠牲として働く。すると主人公は犠牲の代償としてせむし鱒を得る。さらにせむし鱒を殺して(つまり犠牲にして)料理をする。すると「エズメラルダのくちづけのように甘」い味が得られる。

他に言及すべきことはブローティガン独特の比喩の味わいだろう。穴を鉛筆削りに譬えるところなどは本当に気持ちのいい表現だ。