作家が小説を書くに当たって必要とされる能力のひとつに、難しいことを易しいことに翻訳するということがある。文学上の真理はおうおうにして難しい。それを読者にも理解できるような形に変換することが作品をつくるにあたって大切になる。
僕は最近、短編小説の『夜の徘徊者』というのを書いて発表した。評判はよくなかった。この作品のクライマックスは、不登校の主人公が偶然出会ったクラスメイトに対してある物語を語るところだ。その物語、つまり話中話は、主人公の置かれた不幸な状況を幸福な方へと向けて焼き直したような内容になっている。主人公はその物語に戸惑っており、受け入れられないでいるが、クラスメイトから肯定されたことで飲み込めるようになる、という話運びになっている。
悲しいことにこの構造が誰にも伝わっていないようだ。実はこれは文学ではいたるところで用いられる常套テクニックである。僕はこの結果を受けて、自分の姿勢を考え直そうと思った。やはり難しい技術を用いると誰もついてこない。別に本当は難しくないのだが……よく使われる技術なのだが……と言い訳をしても駄目だ。僕は難しいことを易しいことに翻訳する能力を開発しなければならない。
難しいことを易しいことに翻訳する一番のやり方は、作中の随所に同じ構造をもった表現を出すということである。村上春樹は『1Q84』でこれをやった。卵型の暗喩である。すると、これがとても難しい構造であるにもかかわらず大勢の読者に響いた。意識ではなく無意識に響いたのだ。
他には、やっぱり出来事レベルで単純な話にしてしまうということが考えられる。わかりやすく劇的なドラマにするのだ。ただ何も考えずにそれをやると話がぐっとありきたりなものになる。つまらなくなる。そこで僕が『夜の徘徊者』で使ったような婉曲的な技術のラップで話をくるむ、というやり方が考えられる。自作では、たとえば『ブラインド・パイロット』ではそれをやっているつもりだ。
やっぱり読者には歩み寄りを見せないといけない。すべての作品でそれをやる必要はないのだが、歩み寄りの姿勢が基本でないと作家としてはまずいだろう。