世間では小説が売れていないらしい。日本ではどんどん小説の売り上げが下がっていっているという事実がある。
そんな中で小説家として商業デビューをはたし、自作を売るために僕は何をすればよいのか? 出版社と協力して本の宣伝方法を変えるのか。装丁を変えるのか。本を置く場所を変えるのか。
いや、どれも違うだろう。考えるべきなのは本そのものが持つ価値だ。価値を刷新し、人々に必要とされるものを提供する。それが僕のやるべきことであって、それ以外のことはみんな邪道だ。
では、小説の価値とは何だろうか。
それは古来から「面白いこと」とされていた。読む人に感動を起こしたり、胸が高鳴る物語を展開させたりすることとされていた。あるいは孤独な人たちから「寂しさを埋める」ことも求められていた。場合によっては小説に「高い芸術性」を欲する人たちに、優れた文学を供給することも求められていた。
今はどれも小説には求められていない。面白さなら映画や漫画やゲームが持っていってしまった。寂しさを埋めるならYouTubeやInstagramの配信や動画が適している。あるいは友達とネットでボイスチャットをしてもいい。芸術性については、これはそもそも人々はまったく求めなくなってきている。
ここで我々は一度、他の商売人たちがどうやって物を売っているのかを思い出すといい。人々が食べ物を買うのは腹を満たすためだし、服を買うのは快適に外を出歩くためだし、住むところを買うのは安全に暮らしたり寝たりするためだ。つまり実利にもとづいている。それが物を売ることの基本だと言える。
ひるがえって小説のことを考えてみると、「面白い」というのはよくわからない価値だということに気づかされる。それは本当に必要とされているのかどうか不透明だ。というか、実は必要ない。だから小説は売れないのだ。いくら小説が面白くても、読み終わった後には何も残らない。「ああ、面白かった」で終わりだ。感動して泣いても、似たようなことで、それで一時的には心が慰められるかもしれないが、対症療法にも似ていて、根本的なところでは心は何も変わらない。
そこで僕は今までの小説と違うことをしてみたい。何をするのか。
僕は「役に立つ」ということをしようと思う。人の役に立つ小説を書く。といっても別に社会問題を書くつもりは一切ないし、実利のある知識を人に授けるつもりもない。
僕は、人が小説を読むことを通じて、自分の心を理解し、受けている傷を発見して治すための手助けをしようと思う。なぜなら人は普通、自分の心のことを十分には理解できていないものだからだ。今自分が限界以上に心身を消耗していることに気づいていなかったり、何に対して腹を立てているかわからなかったりといったことは、決して珍しい現象ではない。たとえば僕は彼らに対して鏡となるような作品を提供する。それで彼らは自分自身を知ることができる。自分がどの位置に傷を受けていて、どこを治療すればいいかを知ることができる。
あるいはもっと劇的に、僕は読者の病巣を特定して、腹を切り裂いて手を突っ込み、それを取り去ることだってできるだろう。もちろん腹に開けた穴はきっちり縫合する。そういう過程においては、もはや小説は芸術作品ではなくなっている。小説は単なる道具に過ぎない。そして、それが僕のやりたいことなのだ。
自分にはそれができると僕は考える。そのために今までいろんな技術を学んできたし、これからも多くの知恵を身につけていくつもりだ。