僕はセルバンテスに愛憎相半ばするところがある。やつを倒したいという思いもあれば、ぜひとも救わなければならないという思いもある。自身の心を分析してみると、どうやら僕が倒したいと願う相手は『ドン・キホーテ前篇』におけるセルバンテスで、救わなければならないと願う相手は『後篇』におけるセルバンテスのようだ。
セルバンテスは『前篇』で次のようにドン・キホーテを発言させる。
「拙者は遍歴の騎士でござるが、その名を《名誉》が決して思い出してくれない、つまり永遠の記憶に決して刻まれることのないようなたぐいの騎士ではありませぬ。そうではなくて、ありとあらゆる嫉妬をはねのけ、さらにはペルシャの妖術師、インドのバラモン、エチオピアの裸体苦行者たちのすべてを向こうにまわして不滅の殿堂にその名をとどめ、かくして来たるべき代々にあっては模範とも手本ともなり、もし新たな遍歴の騎士たちが武勇の誉れの頂点をきわめようと欲するならば、どうしてもその足跡を踏まねばならぬような、そうした騎士でござる。」
これはドン・キホーテが愚者であると同時に本物の英雄であることを宣言している箇所であるが、なおかつセルバンテスは後世の作家たちを煽ってもいるのである。「この俺を倒せるものなら倒してみな」と。
僕は単純な人間なので、これを読んでカチンときた。「やってやろうじゃないか。お前後悔するなよ」と奮い立った。セルバンテスを倒してやりたい、というのはそういうことである。
一方で、彼を救いたいとも思う。それは『後篇』におけるセルバンテスがあまりにもみっともないからだ。『後篇』においてセルバンテスはこう書いている。
さらにシデ・ハメーテは、こう付け加えている――人を愚弄する者たちも愚弄される者たちと同じく狂気にとらわれていると思う、現に、公爵夫妻は一対のばか者をからかい、もてあそぶのにあれほどまでの熱意を示しているのであってみれば、彼ら自身、ばか者と思われるところからほんの指幅二つと離れてはいないのだ。
これは読者への苛烈な攻撃に他ならない。「公爵夫妻」とはつまりドン・キホーテを読んで笑っているだけの読者のことである。セルバンテスにとって、彼らは『前篇』の真の意図が理解できない愚か者なのだ。
さらにセルバンテスは偽作を書いた者を猛烈に批判する。アルティシドーラによって悪魔たちがテニスをする場面が語られるところがそうである。正直、僕はこの箇所を読んで背筋が冷たくなった。セルバンテスは作品を私物化しているな、と思った。彼はただ私怨を書いているだけだな、と感じてしまった。
そういう作家の姿勢を僕はみっともないと受け取る。こうはなりたくない、と思う。同時に、尊敬すべき相手が堕落してしまったことを悲しく思う。なんとかしなければならない、とつい考えてしまう。セルバンテスを救わなければならない、というのはそういうことである。
この矛盾するふたつの願いを同時に達成する方法はひとつだけだ。それは彼の失敗に学んだ上で、『ドン・キホーテ前篇』を越える作品を書くことである。非常に長い道程になるだろうが、僕はそれを目指している。