小説野性時代新人賞に投稿する予定の長編小説ができあがった。この作品を書き上げたのは僕にとってとてもよい体験になった。非常に勉強になったからだ。

この小説の鍵は空想である。ある人物は日々自分のつくりあげた架空の人物について空想をしながら過ごしているのだが、とある事情から主人公がそれを引き継ぐのだ。主人公は他人のものであった空想を自分のものとして、大切に育てていく。

するとそれが思いがけず現実の事件の解決に役立つのである。この小説は、言ってみればそれだけの話である。何も複雑なことは語っていない。空想っていいよね、と言っているだけだ。

以前キューブラー・ロスの本を読んだときにこういう話が出てきた。ナチスの手によって強制収容所に入れられた子供たちが、自分たちの死が間近であることをさとり、壁に蝶の絵を描いたのだという。ロスはそれを、子供たちは生まれ変わりを信じていた、あの世を信じていた、と語っていた。

僕の言う空想とはまさにそれである。窮地に追い込まれ、現実的な対抗の術をすべて失った人間にできる最後の手段のことである。僕はそれを肯定したい。僕の生涯もその子供たちと同じだと思う。人生のどの場面をふりかえっても、何一つとして自分の意思が通ることはなかった。人から迫害され、誤解されるだけの人生だった。しかもそれがどうも修復されそうにない。僕はどうやら死ぬまでこのままのようなのだ。だから僕は自分や他者が空想にすがるのを肯定しようと思う。溺れた者がつかむ一筋の藁は、くだらなくない。

ちなみにこのテーマや物語の構造は『ドン・キホーテ前篇』と通じるところがある。ほとんど紙一重だ。僕は『ドン・キホーテ前篇』にかつて感動したし、これは自分にとって大切な書になるだろうと直感していた。しかしこうも早くその成果が具体的にあらわれるとは思っていなかった。あるいは、別にこれは学習の成果ではないのかもしれない。僕はただ単にセルバンテスと同じような人間だという、それだけのことなのかもしれない。それはそれで結構なことである。僕はこれからもみじめな人生を生き抜いていく。別に絶望はしていない。