僕の作品が「さなコン」で落選した。正確には最終選考の候補に残ることができなかった。
そこで僕は色々と考えさせられた。やっぱりコンテストというのは選考委員の考えていることを当てるゲームでしかないな、と痛感させられた。僕の作品が落ちた理由は明確で、SFではないからだろう。ちょっと不思議なことが起こるだけで、そこに理論づけとか、出てきた不思議な現象にひねりを加えるということができていない。だから落ちたんだろう。
ただ、未練がましいようだが、もし選考にたずさわる人がたまにしか小説を読まないような人物ばかりだったらどうなっていただろうか。その場合なら僕の作品は最終候補の23作の中に残っていたかもしれない。なんというか、僕の今回の作品は「普通の読み物で、かつ良い味のする」ものだったと思う。それしか良いところがないと言えばそうだが、僕はそれで別にいいと思っているのだ。
よく考えてみると僕の作っている小説は全部そんな感じだ。しばらく前に公募に出した長編小説も、別に純文学ではない。文学力はかなりあるが、もし純文学の賞に出したらまず間違いなく落選するだろう。最終選考に進むことさえ厳しいと思われる。作品が「いかにも文学です」という顔をしていないからだ。
だから僕はエンタメの賞である野性時代に出したわけだが、エンタメとしても直球勝負ではない。頭からしっぽまでぎっちり餡子のつまったたい焼きですぜ、というわけではないのである。作品が「お客さんを楽しませます!」という顔をしていない。そこらへんが自分でも悩みどころだ。僕は賞に最適化された小説を書けないのである。
それで今日は、自分の本心をじっくり探ってみた。僕は本当は何がしたいのだろう? 僕は今まで自分のことを文学的人間だと思っていたが、ひょっとしたら違うのだろうか?
すると出てきた答えは、別に文学を書くことになど興味がない、ということだった。僕は面白いことには興味がある。面白いことを追い求めた結果、「エンタメはつまらない」という結論を下し、エンタメの摂取をぐっと減らして、文学を読むようになった。それで僕は自分を文学的人間であると勘違いしていたらしい。
でも違った。僕は本心では、書くときは、普通の人に届けたいと思っている。文学ファンをターゲットに据えていない。さらに言うと、エンタメばかり積極的に摂取しているような層にもほとんど関心がわかない。彼らに届けたいという思いが自分の中にはぜんぜん見当たらない。
僕が読んで感心する現代のコンテンツは、小説だと『1Q84』で、漫画だと『チェンソーマン』の第一部、アニメなら『シン・エヴァンゲリオン』だ。よく考えてみるとどれもエンターテイメントに全振りした作品ではない。かと言って純文学です、という感じでもないだろう。だが売れている。つまり僕のやりたいことは世間に受け入れられないわけではないのだ。むしろ的確に打てばヒットになるはずである。
以上のような、とりとめもないことを今日は考えていた。本稿はかなり散らばった内容になってしまった。今後はちゃんと自分のやりたいことを整理していきたいと思う。