前回の記事からの続きである。

メタファーというのは電子メールのようなものかもしれない。ある世界から別世界への言伝。ある世界に存在する事物なり人なりから一方的に送られてくるメッセージがメタファーであり、それにはスマートフォンのような受信機が必要となる。受信した事物を見て、人はそこにはじめてメタファーを発見する。

メールの譬えを用いると伝わりにくくなるポイントとしては、受信物は動き出す、ということである。メタファーにはメッセージだけでなくエネルギーが付与されている。受信物はそれを受けると元気になって動いたり変容したりする。たとえば女神があくびをすると花は風を受けて揺れるというぐあいである。以上がメタファーの基本的なメカニズムと言っていい。

さて他界には我々に想像もつかないぐらいさまざまな事物や人物、あるいは神様などがいるはずである。我々はそれらをメタファーを通じて推測することができる。我々が得られるのは部分的な知である。その部分的な知から推測を働かせて、広大な他界を想像することができる。

したがって他界からメタファーを受け取りはじめた人物は、おのずとマッピングということをしはじめるのではないかと僕は想像する。他界の街について知ろうと願うなら、他界の街に存在するはずの教会や住民が、現実においては何に反映されるのかということを知り、それらの観察を通じて他界の街のあり方を理解していくに違いないと思われるのだ。それは言いかえれば、複数物と複数物の対応を把握するということである。こうすることで我々は他界に関する豊かな知をたくわえていくことができるのではないかと僕は考える。

そのような想像を働かせていくと、現実世界の人物があえて受信機をつくっていく、ということも考えられるだろう。メタファーを受け取るための事物を自分の手でこしらえるのだ。それはたとえば石を積んだものや人形のようなものになるだろう。それらの受信機を複数つくり、一ヵ所に集めることで、我々は効率的にメタファーを受け取り、向こう側の世界についてより多くのことを知っていくことができる。こうした構造物は古い時代においては寺院のような宗教的な建築物が相当すると思われる。

最終的には我々はこのような受信機を通じてメタファーをさかさまに作用させることを願う。送信機を新しくつくったり、あるいは受信機を送信機として動かすのだ。それは他界への能動的な影響ということに他ならない。古い時代においては偉大な神様に対して犠牲をささげて焼き、煙を天空に届けるということだ。そうすることで昔は神様の加護を期待することができた。人類にとって天空とはもっとも身近な異界だったのである。

現代日本においてはそうはならないと僕は思う。今は、逆だ。今は他界が消滅してしまっている。他界は弱い。だから我々はどうやって他界にいる死者を助けるか、ということが意識されるに違いないと思う。死者たちが、彼らが健やかに生きていける地盤をつくること。それが今我々がなすべきことだし、めぐり回って自分自身を助けることにもつながっていくのである。