この世には「エビデンスが現在存在せず、今後も決して存在することはないが、正しい知識」というものがある。

たとえば村上春樹の『かえるくん、東京を救う』はフランツ・カフカの『変身』を土台にして書かれているというのは、文学のセンスがある人なら誰でも確信できるような初歩的なことだが、エビデンスはない。作者である村上春樹がそう発言していないからだ。これまでの村上春樹の発言や態度から言って、彼がそのような発言をすることは今後もないだろう。したがって今から人類が滅ぶまで、いや滅んだ後も、この知識を正しいとするエビデンスは絶対に存在し得ないのである。

頭の良し悪しというのは、こういう知識を次々と見つけ出し、それを礎にして思考できるかどうかで決まってくる。息を吸うように平然とこうした知識を取りあつかえる人間だけが頭が良いのであって、エビデンスがどうこうと言っている人間はまるで駄目である。

したがって必然的に、人の頭の良し悪しは頭の良い人間にしか見分けがつかなくなる。大多数の人間には賢さのジャッジということが不可能である。知の上位層はいつもそういう透明な領域で戦っている。彼らは普通の人には目視不可能な存在なのである。