現代日本では小説のコンテストや新人賞がいろんなところでおこなわれている。しかしこれらのコンテストは十年後にはほとんど消滅しているかもしれない。僕がそう思った根拠をここに書く。

ひとつは生成AIによる大量投稿だ。かつては何万文字もある小説を書くのは大変なことだった。上手い下手にかかわらず、そもそもそれだけの長さの物語を書いて応募可能な文字数に達すること自体がむずかしかった。だから応募数は自然と限られていた。

だが今はAIに長編小説を書いてもらえる。しかもAIを自在にあやつる人の数はまだ上昇の途上にあるのだ。やがて応募数がはね上がるのは目に見えている。審査側もAIで足切りすればいいという意見もあるだろうが、どうやらAIは価値判断が苦手のようだ。つまりここには応募側はAIを使い審査側は人力で仕事をするという非対称性がある。審査側の方がコストがかかるのだ。

次に僕が問題として挙げたいのは、落とされる人の怨嗟の声だ。以前おこなわれたウェブ小説のコンテストで、最後に審査員の久美沙織が講評を公開したのだが、これについて「人の小説をけなすなんておかしい」という声がツイッター上に出た。そのコンテストでは大賞を取る作品があらわれず、久美沙織は応募作の出来に対して全体的にレベルが低いと指摘し、具体的に応募作の「この文章はおかしい」とまで書いたのだが、それがどうも一部の人々の反感を買ったらしい。僕の観察ではコンテストに無関係らしい人までが疑義を呈していたので、これはなかなか無視できない問題だと感じた。

別の例を出すと、あるウェブ小説のコンテストの応募作をすべて読んで自分が良いと思った作品を挙げる人がいたのだが、その人に対して文句をつけている人がいた。その人の発言を読んで僕なりに推測したところでは、「褒められなかった作品のことをお前は考えているのか」と結局その人は言いたかったらしい。このように作品を褒める行為に対してもバッシングがおこなわれるというのは注目すべきことである。どうも今は公然と作品に優劣をつけることがむずかしい時代らしい。

以上に説明した現象から、ひょっとすると出版社は小説のコンテストをなくしてしまうかもしれない、と僕は思った。そうなると作家希望の人間はどうやって世に出ればいいのだろうか? 当然、出版社からのスカウトを待つしかなくなるだろう。ウェブ小説で投稿サイトのランキングに入るのが近道ということになる。

他には、ネットで目立つというのがある。今だったらYoutuberになるのがいいだろう。小説とはまったく無関係の動画やライブ配信をして有名になり、チャンネル登録者数が100万人になったところで本を出せばいい。どこかの出版社が引き受けてくれるだろう。

とすると作家になるには、美しい顔や優れた声や、あるいはライブ配信のスキルを持っている人が向いているということになるだろう。これはあまりにも馬鹿げた事態だが、いずれ本当にそういう時代がやってくるかもしれないと僕は思う。